自分史

近況・その9 (2004年9月)

久しぶりにミスターバイク誌の取材を受けた。

 企画内容は”これで人生が変わった”というタイトルで、その人生を変えさせられた当時の現場に行き、現在の自分の写真を撮り、語るというものである。

 オレは中学生の頃にはすでにバイクを乗り回し(もちろん無免許・・時効?)いまの西武ドーム近辺でモトクロスの練習に勤しんでいたのであった。

 オフロードを走りまくるマシンを、いまはモトクロッサーという言い方が一般的だが、当時はスクランブル、そしてそのマシンをスクランブラーと言ったものである。

 そして、そのバイクに関わる窃盗事件の冤罪を背負わされ、オレはやむなく退学させられるハメとなったわけだが、これはいろんなところで話しているので内容は省く。とにかく、この冤罪に因って、オレは立ちはだかった人生の岐路というものを初めて思い知らされることとなったわけで、このターニングポイントがなかったら、まず頭脳警察というものも、この世に存在していなかったと断言してもよい。

中学生だったオレが、徹夜でエンジンをバラし、改造しまくった50ccの自称スクランブラー(?)で、いつもの高い崖が待ち受ける、好き者達の集まる場所に出かけていく。

 そこは後に有名になるレーサー達も集まってくるような有名な場所であったが、途中、ナンバープレートもなく、保安部品など一切取り外されて、ゼッケンプレート10番をつけて公道を走っているバイクを白バイが見逃すはずもなく、即、サイレンを鳴らして追いかけっこが始まり、オレが畑の中から、林の中まで逃げまくれば、相手の白バイも果敢に追いかけて来る。本当におおらかな時代であったと思う。

そんな思い出の中の一瞬の煌めきを過ごさせてもらった西武ドーム近くで撮影は始まった。気温が連日40度弱の厳しさ、記録的な猛暑となっているこの真夏にである。

 あいにく去年、埃を被ったままだったDUCATI PANTAHやらのバイク達は友人達のところへ去って行ってしまい、残念ながら、手元には一台もないという状況。

 丁度、そろそろ乗りたいかなと思っていた矢先に、通じるものがあったのであろうか、ミスターバイクから、この話が来たのである。

 前述したように、バイクは一台もないので、仕方なく、アストンマーチンV8で現場へ向かった。編集部の希望で革ジャンを着用してくれという・・・

 そのリクエストを聞いただけで、オレは熱中症で倒れそうになってしまったが、カッコだけでもいいから革ジャンは用意して欲しいとせがまれ、では、ということで肩からかけたり手で持ったりして、さらに小さい(小学生?)頃によく遊んでいた狭山湖の堤防の上で撮影した。

 オレの口癖で、「仕事ってのは暑いか寒いかどっちかだ」ってのがある。その実、ライブとかレコーディングとか、取材なんてのを仕事だと思ったことは一度もないくせにだ。

ミスターバイクってのは、昔からおちゃらけた雑誌である。高速道路二人乗り禁止と言われれば、マネキンをタンデムシートに乗せ、料金所で一泡吹かせたり、二輪車の都内走行規制時間条例が成立すれば、背中にでっかい時計を背負って警察を困らせたりする茶目っ気たっぷりの雑誌である。

 その雑誌のキャラに合わせて、ミスターバイクなら、こんなカッコがいいんだろ?と、ちょっとサタデイナイトフィーバーのようなポーズをとってみたりしたが、本誌が出来上がってみると、オレが母上とツーショットで三輪車にまたがっている写真が使われているではないか! オレはこんな写真を使うのは許可してねぇぞっ!→編集部!(笑)

 しかし、とにもかくにも撮影は無事終了し、撮影されてるオレよりカメラマンの方が、あの暑さによくへばらなかったものだと感心してしまう。

 スタッフもなかなか優秀な奴だし、これならこれからのミスターバイクも安心出来る。終わってから、近くの豆腐料理で有名な料亭で、クーラーも無しの離れの座敷で、日本庭園と林に包まれ、本来の涼しさを満喫しながら、いろいろと当時の話をし、終わった頃には、すでに狭山湖に夕陽が差そうかという時間であった。

 この狭山湖に落ちる夕陽は絶品である。よくアマチュアカメラマンたちが、集まっているが、眺めているだけでも何とも言えない郷愁、そして遁世の気持ちに近いものを感じてしまう。カメラマンが撮りたがるのも無理はない。それはそれは素晴らしすぎるからだ。

 そして、その湖の下には、オレの曾婆ちゃんが住んでいた村が沈んでいるのである。

(2004年9月)

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