自分史

近況・その8  (2004年6月)

 西荻窪に「アケタの店」という、小さいけれども新宿ピットインと並ぶジャズの老舗のライブウスがある。

 今年、そのアケタの30周年ということで、また、ジャズを唄うことになった。

「また」というのは、以前、義兄の故・板谷博がギルティ・フィジックというバンドを率いて、アルバムを出した折り、キャンペーンライブに付き合えということで、客寄せパンダ?ならぬ客寄せPANTAということで、初めてジャズをやらされることになった経緯があってのことだ。

 義兄はトロンボーン奏者であり、初めて彼のライブに行ったのは、他ならぬ新宿ピットイン、山下洋輔とセッションということで、それはそれは刺激的な出来事だった。

 彼は、山下洋輔トリオでなく、自分が加わって山下洋輔カルテットになるのが夢だと語っていたのを思い出す。

 その後、生活向上委員会というグループでドクトル梅津氏らと活動を続け、自分がリーダーとしての、前述したギルティ・フィジックというグループでもアルバムを出し、その発売記念キャンペーンとして、ロックバカ一代(んっ?)のオレがゲストで出てジャズを唄えという無謀な指令を出されたわけだ。

 彼の作曲によるインストルメンタルの“Petit Waltz”という曲にオレが仏語で詞をつけ“Petit Cocotte(可愛い不良少女)”とタイトルを付けたり、チャーリー・ミンガスを聴かされたり、レイ・チャールズからホーギー・カーマイケルまで、数々の珠玉の名曲の数々を候補にあげられ、いわゆるフリージャズを好む彼らしくもなく、かなり王道なスタンダードジャズのナンバーをオレに望んできた。

 しかし何と言ってもジャズとロックではルールが異なり、異種格闘技戦と言っても過言ではなく、かなりのプレッシャーを強いられたことは確かだ。

 バッキングが、とにかくルートの音を重ねてくるロックとは違って、ジャズの場合は歌のメロディが入って初めてバッキングとのアンサンブルが成立するので、歌は自由に動けるかわりに、しっかりと構成音を捕らえてトレースしていかないと、音楽としてまるで成立しなくなってしまう。

 第一回目のアケタでのライブは自分的には惨憺たる結果に終わった。

“Goodby Porkpie Hat”では、萎縮しているせいか、思ったより声も出ず、オレが自分で詞を乗せた“Petit Cocotte”にいたっては、オクターブ三度下で歌い始めてしまい、ソロを回した後、やっと本来のメロディに戻れたという始末。

 リッキー・リー・ジョーンズの“Dat Dere”は、ふざけて“だってRare”などというタイトルにして、日本語詞をつけて歌ったのだが、あまりのメロディの難しさに、まったくお話にならないほど悲惨な出来であった。


 ロックの場合、ある意味、様式美であるので、何回もリハーサルを重ね、曲の完成度を高めてライブに望むのであるが、ジャズの場合は、その刹那のインプロビゼーション(即興性)を重要視することもあり、リハーサルは一切なしで、サウンドチェックのみで本番に望むわけだ。オレとしては不慣れなというより、むしろ初体験ともいう試練なのに、リハーサルもやらせてもらえない。

 バンドとの、音合わせならぬ歌合わせを許されるかぎりやりたかったのだが、それも叶わず、初っぱなからジャズのルールに則っての本番突入ということになってしまった。


 主メロの歌が終わると、各楽器のソロの回しになり、これまたロックとは違い、ソロは譜面上でダ・カーポで頭に戻り、ソロの回しが終わると、譜面の小節通りに歌は入らなければならない。

 よってちゃんと小節数を頭に入れておかないとソロが終わっても歌は入るタイミングを失ってしまい、全員が路頭に迷うことになってしまうのだ。これにもかなり翻弄されたものである。


 義兄が、ビッグバンドを組んでやるから、唄ってみるといい、忘れられない快感になるぞと言っていたことが、昨日のことのように思い出される。


 義兄が他界して、数日後、車を運転中にオレの友人であり、DJであるケイ・グラントが故板谷博を偲んでと、FM・NACK5で、彼がトロンボーンで唄った“Over The Rainbow”を流してきた。これには涙腺をやられてしまった。

 あとで「泣かせるんじゃねぇ」と、電話でケイに文句を言ったことも、いまとなってはいい思い出だ。


 そんな経緯があって、ギルティ・フィジックのメンバーでもあったサックスの松風鑛一さんのユニットでアケタの30周年に臨むことになった。選曲にはかなり悩んだのだが、兄貴がオレに望んでいた王道のスタンダードジャズをやろうと決めてしまったのである。

 レイ・チャールズの♪スススサ〜ムタ〜イム・・という出だしを聴けば、ゴメンなさいになってしまうし、ナット・キング・コールを聴けば身体が溶けてしまいそう、サム・クックを聴けば身体がしびれまくりだし、トニー・ベネットを聞けば、脳みそが空になってしまいそう・・・・


 以前から、60才になる頃にはサッチモの“What a Wonderful World”を歌えるような{価値}のある人間になっていたいと言ってはいたのだが、それに先駆けて、60才を待たずに、前から唄ってみたかったイントロバース付きで、“Stardust”&“思い出のサンフランシスコ”

に挑戦してみた。

“波紋の上の球体”というオレのアコスティックアルバムに収録している“うらむらく”

という曲もジャージーにやってみた。

 オレが声で参加したファミコン時代からの有名なゲームであるプレステ2用に作られた“探偵神宮寺三郎”の9作目にあたる“Kind of Blue”(サウンドトラックも発売している)の主題歌も唄ってみた。

 そうそうたるメンツをバックにライブは展開していったのだが、以前ほどの緊張はなく、割合いリラックスした状態で出来たように思う。

 かなり学芸会レベルの出来であったのであろうが、オレとしてはあんなもんでしょうとの諦めにも似た吹っ切れた満足感が残っている。


 来てくれていた全日空ホテルに勤める従兄弟が、ディナーショーを組んじゃうぞと言っていたので、「望むところだ、ギャラは高いぞ」と応えておいた。

 ナット・キング・コールの“Mona-Risa”をやったので、てっきり“Too Young”もやるかと思ってたと言ってくれた元安全バンドのドラムの純平は、自分も叩きたそうにライブ中は腕をさすりまくっていたらしく、浦和R&Rセンターの高澤くんにいたっては、“Too Young”だけでなく、今度は“酒とバラの日々”も唄ってくれとの熱いリクエスト。

 いっそのこと、純平がいま定期的に自分のジャズバンドで大宮のライブハウスでやっているらしいイベントに遊びに行って歌ってしまおうかとも思っている今日この頃。

 それにしてもオレは酒が飲めないので“Days Wine and Roses”にはならず、酒と女ではなく“Days Wife and Roses”になってしまうのであろうが・・・・(笑)

(2004年6月)

コラムバックナンバーに戻る

© PANTA/IMAGINATION 2007