自分史

近況・その7 (2004年5月)

 最近、東京地裁通いが続いている。

 オランダハーグのフランス大使館占拠&人質奪還、クアラルンプールでのアメリカ大使館占拠&人質奪還作戦を敢行した和光晴生くん(日本赤軍)の意見陳述が行われるというので、スケジュールを調整して足を運んでみた。

 彼は、足立正生さん等とともにレバノンから強制的に日本政府に引き渡された経緯があるが、一時間にわたる意見陳述は、人を殺めるつもりはなかったが、結果的に傷つけることになってしまったとの自らの反省と謝罪をきちんと自己の中で完結し、現在の国際情勢に驚くほど精通し、痛烈な日本政府批判を繰り広げていた。

 彼の意見陳述が終わった後、あまりの素晴らしさに裁判所ということも忘れて思わず拍手してしまいそうになった自分を笑ってしまった。

 その数日後、今度は重信房子さんの公判があった。

それは誰に紹介されて会ったのですか? その時、誰がそばにいてどういう会話がなされたのですか・・・・などという弁護士からの質問が延々と続き、それに素直に明確に答える彼女の後ろ姿が印象的であった。

 足立さん他、数名は知ってる顔が見受けられた。もちろん娘のメイちゃんとその友達も来ていたが、休廷後に驚いたことに、くすんだグリーンのジャケットにチェックの超ミニスカートの女子高生が四人入って来て、オレの前の席におもむろに腰をかけた。

 おいおい制服向上委員会じゃないんだから・・・と苦笑する自分をたしなめながら見ていたが、どうやら社会見学か何かの一環らしく、よりによって重信さんの公判にねぇと、ちょっと面白かった。

 次回の公判ももうすぐあるが、これも出来る限り足を運び続けたいと思っている。

 時を経ずして先日、イスラエルに殺されたハマスのフィクサー、アハマド・ヤシン氏の弔問に行ってきた。

 オレの家の前の幼なじみの花屋のベンちゃんに、パレスチナをイメージした花を見繕ってもらい、テロ警戒のため厳戒態勢がひかれている永田町のど真ん中にあるパレスティナ領事館に行ってみると、レバノン大使館とかと同じビルにあり、さぞ厳重な警戒をしているんだろうなという予想を覆し、インターフォンを押すと無警戒にドアが開けられ、ようこそいらっしゃいましたとばかりに記帳部屋に通された。

 Panta FLying Publishersとわざと大文字のP・F・L・Pという字が目立つように書いてきたのだが、翌日、知り合いの女の子が、やはり記帳しに行ったところ、昨日は日本のロックミュージシャンの方も見えてくださったんです、と言われたので、オレのことを説明しておいてくれたらしい。

 その子に、Pantaさんのふたり前に橋本龍太郎の記帳があったの見ましたか?と言われ、アラブ文字しか並んでないと思って二人分上を確認しなかったオレは可笑しくてしょうがなかった。

 さてさて、このところ平和だったオレの回りもまたまた様々な機関にマークされはじめていることだろう。

 マークされるのはレコ倫だけで結構なのに。

(2004年5月)

コラムバックナンバーに戻る

© PANTA/IMAGINATION 2007