自分史

近況・その5 (2004年1月)

 頭脳警察の相棒のTOSHIが新潟の田圃で米作りを始めて、もう6年になろうとしている。

 前から一度来いと言われていたのだが、なかなか実現せずやっと稲刈りにだけ参加することが出来た。

 その昔、ZKでスタッフをやっていた者が、いま新潟の岩室で自動車修理工場を営んでおり、その関係もあってTOSHIは米作りが目的なのか、その後の宴会&温泉が目的なのかは知らないが、その友人関係のつてをもって始めることになったらしい。

 限りなく農薬を使いたくないというTOSHIに田圃を貸してるのは、無農薬派の地主で農薬賛成派の近所の仲間も加わって終わってからの宴会はそれは豪華なものであった。

“和して同ぜず”とは田中真紀子のダンナの弁であるが、農薬派と無農薬派が宴会で共に盛り上がるとは、新潟では基本の考え方らしい。これにはいたく感激したものである。

 前スタッフが日本海で釣ってきた、豪華な海の幸を前に繰り広げられる宴会は、カラオケこそなかったもののTOSHIの御乱行は相変わらずで、ここでもオレが頭を下げねばならぬのか(笑)

 刈った稲を一週間ばかり干す作業に入った時、となりの田圃の看板が目に入った。そこには“入るな、盗むな〜”何とかかんとかとやたらでかい字で書かれていたが、何とそれは立川談志の田圃であって、一週間後に刈り入れすることになっているらしい(笑)

 話は前後してしまったが、宴会まで時間があったので、以前走ったことのある弥彦スカイラインをひとっ走りして頂上から佐渡を見渡し、シーサイドラインを走って、宴会の始まる時間に宿泊の旅館に帰ってきた。

 翌日、以前から一度行ってみたかった糸魚川の翡翠狩りに行ってきた。新潟から帰るにしては遠回りになるのだが、北陸道をひた走り、上越市に入り糸魚川で下りると”ようこそヒスイの古里へ”の看板が目に入る。

 なにぶん初めてのことなので、わけもわからず近くの翠鳳堂という店でどこで拾ったらいいのかを聞くと、素人さんには難しいですよ、川は危険だし・・・と返されたが、しつこく食い下がると、親不知海岸にはよく観光客がいらっしゃるみたいですよと聞かされた。

 さっそくその親不知海岸へ行ってみると翡翠博物館なるものもあって、そこには最大級の翡翠の原石が中央に鎮座ましましていた。

 あいにく小雨日和であったが、欲に目が眩んだオレには海岸の石がすべて宝石に見えてしまい、これは翡翠に違いない、これは翡翠でなくても名のある石に違いないと、やたら拾いまくり、コンビニ袋三つくらい抱えて、翠鳳堂に戻ってみると、一生懸命、鑑定してくれたそこの若主人らしき人物に、残念ながら一個もありませんと冷たく言い放たれてしまった。

 親不知海岸のピアパークにある翡翠ふるさと館では、出雲の建御名方神と当地の高志の女王・沼河比売(ぬなかわ姫)とのラブロマンス&婚姻のエピソードを初めて知り、翡翠勾玉フェチのオレとしては、ちょっとした歴史ロマンの旅だった。

 爪の先程のかけらでも拾えたら感激しただろうに何の収穫も出来なかった腹いせに、その翠鳳館で翡翠の勾玉を買ってしまい、再度ここへ来て、今度は河に挑戦しようとリベンジの誓いを胸に雨の中を帰路についたのであった。

(2004年1月)

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